をいったりするなど子供達を責め続け、特に娘を泣かせました。娘は私に泣きじゃくりながら「お母さん、もう泣くのしんどいから、お願いやからもう泣かさんといて…」と顔を真っ赤にして懇願したほどでした。あの時の私は正に鬼のようでした。子供達はあまりにも小さく、そのいたいけな心をどれほど深く傷つけたことか。あの日の子供達の悲しみと恐怖を思うと胸がしめつけられる思いです。   「この子(弟である息子)には三歳まで母乳をあげたい」そう思い続けて三年…そしてようやく息子は満三歳を迎え、めでたく『自立断乳式』を行うことができました。自分の母乳育児の目標をひとつ達成できた喜びと同時に、食べる事が大好きな私は「これで好きなものが思う存分食べられる!」という開放感もひとしおでした。というのもアレルギー体質である息子の母乳育児は、厳しい食事摂生なくしては成り立ちませんでした。私の僅かなつまみ食いにも息子のアレルギーは感度良く反応したため、ベジタリアン生活も一年以上ありましたし、厳格食が板につくまでの数ヶ月間、ひどい鬱に悩まされたこともありました。それは今思うと食に依存した生活から厳格食に移行したための低血糖症状だったのかもしれません。息ひとつもどる
子のアレルギー症状が落ち着いてからも、ある程度のつまみ食いはするものの常に「食べた物が母乳にそのまま出る」という思いが煩悩のブレーキになっていました。   その結果、厳格食の習慣が身につき随分健康的な食生活に変わりました。その過程で自分の体も浄化され、知らず知らずのうちに私の体の「食べ物に対するアレルギーのセンサー」が感度よくなっていたのです。そして断乳後、いきなり大量に嗜好品を摂取したことで、かなりはっきりとした形で情緒の異常を体験することになったのだと思います。  しかし私は、この出来事からも定期的にやってくる過食の欲求を抑え切れませんでした。そしてこれ程ではないにせよ、同様の精神状態に陥り「プチ虐待」を繰り返していました。本当に自分に対しては盲目で、この時点では食べ物と自分の脳アレルギーとの関連を自覚出来ていなかったのです。しかし遂にその瞬間がやってきました。 しゃしん;「食べもので鬱症状がでるんだって!」「ホント?」ページをめくる