なり、険しかった表情は次第に柔らかく穏やかになってゆきました。  しかし、いくらアトピーに効果があるとはいえ、身動きがとれないのですから寝返りには気を付けなければいけませんし、見た目には虐待ともとれるような、手足の自由を奪う痛々しい方法です。この状態ではベビーカーに乗せることも、まして電車で出掛けることなど難しいでしょう。妊娠中に思い描いていたようなママ友とのランチなんて夢のまた夢です。自分で考案しておきながら、益々理想の新生活からかけ離れてゆくのを感じました。  まず、母親本人がこの姿をどう捉えるのか。子供を湿疹の痒み・痛みから解放してやるためとはいえ、自分(母親)の中でこの状態は許せるのか。受け入れられるのか。乗り越えられるのか。そして周りの人、特に父親に理解と協力を得られるのか。おじいちゃんおばあちゃんは、可愛い孫が羽交い絞めにされている姿を見て何というだろう。外に出れば痛々しい湿疹に加えて、この姿ではおかしなものを見るような目でみられるこ写真;ボク苦しくないよ。早くきれいになりたいもんね。ひとつもどる
とでしょう。そんな様々なプレッシャーに負けないで、母親としてくじけず、自分(母親)が必ず治してやるんだという強い意志を貫き通すことが出来るだろうか。   ●母親に必要なのは信念です  アトピーっ子の母親は、自分の子供の湿疹だらけの姿を見て、こんなはずではなかったのに…と思ったでしょう。そして、自分の子だけ他の子と違う状態であることや、それにまつわる様々なプレッシャーに耐えられるでしょうか。誰もが「かわいい赤ちゃんねぇ」ではなく、「どうしたの?大丈夫?」と、申し訳なさそうに慰めてくれるのです。それは子供がかわいそうなのではなく、まるで母親である自分がかわいそうだ、と言われているかのように感じるのです。そして、誰も口にはしませんが、まるで自分が責められているかのように感じるのです。そのため、ついつい薬に頼って早く見た目をキレイにしてやろう、とか、他の子に早く追いついて様々な食べ物を急いで食べさせようとします。「うちの子、昔はアトピーがあったけれど、今はもう治って食べられるようになったの」と、目の周りを赤くしてガサガサとした肌をしながら、卵やバターがたっぷり入ったおいしそうなクッキーを、母ページをめくる